日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

2009年最初の本。
英語の小説が、日本語に翻訳されたときの説明できない違和感。
英語で会話をするときの、”なんか通じない”っていうじれったい感覚。

小学一年生から、片道1時間半かけて学校に通っていた私は、
電車の中では必ず本を読んでいた。
特に宮沢賢治夏目漱石を好んで読んだ。
その頃大好きだったぞくぞくしたフレーズって今も変わらない。

帰ってきたくなる日本語が私にはあります。

グローバリゼーションって何だろう。
一つの通貨と一つの言語。
多様性を受け入れようっていう建前がある一方で、
みんなが同じ価値観を持つことを強いられてる。

そんな中で私の価値観は変わりません。

全人類に好かれようなんて思ってません。
分かってくれる人だけ分かってくれればいいんだもん。





2008年は、よく小説を読み、よく美術館に行き、
週末は哲学的なことばかり考えてた。

金融というフィールドで働いている自分の頭が、
一色になってしまうのが怖くて。

自分のなりたい人間像と、
今働いている組織で仕事ができる人っていうのが
かけ離れてる。

だから悩んでしまうんだろうな。
バランス感覚が難しい。

でも目的が見えない時だからこそ、
十分に楽しめることもある。
「無駄」と「努力」の境界がないから。
無駄だと感じることも、いつかは役に立つと信じられるから。